好きなことを仕事にすること

小松 花梨

【10年前の将来の夢】


1992年生まれ。小学3年生から土曜授業がなくなり完全週5制、台形の面積の求め方も教わらなくなったTHEゆとり世代どまんなか。

そんなゆとり教育真っ最中に書いた手紙が、今年25歳になる筆者の自宅にとどいた。


「大人になった私は好きなことしていますか?」


・・・心が痛い。
私は今、胸をはって当時の自分に「Yes」と言えるだろうか。
小学生のときの夢の大半が純粋に自分の好きなものを書いていることが多いのではないかと思う。
大人になるにつれて、良い意味でも悪い意味でも現実が見えてくる。
気が付けば収入、世間体を気にした就職活動をはじめている。(個人的主観)
もちろん、収入は生きていく上で大切である。
では、ある程度の生活ができて、好きなことを仕事にすることはできないのか。
同じゆとり世代ながら、実際に小学生の頃の夢を叶え、好きなことを仕事にしている人に話を聞いてみた。

 

【遊ぶ=バスケの小学生時代】


WJBL(バスケットボール女子日本リーグ) 東京羽田ヴィッキーズ
1992年3月6日生まれ 瀨﨑理奈選手
 東京羽田ヴィッキーズ公式HP


筆者(以下_):こんにちはー
瀨﨑選手(以下せ):こんにちはー


_好きなことを仕事にする秘訣を教えてください。
せ:え!(急だな)秘訣なんてないですよ!ただ、続けることが大切だとは思います。


_続けること。。瀨﨑選手は小学2年生のときからバスケットボールをはじめたと伺ったのですが、どんな小学校生活を送っていたのですか?

せ:私が入っていたチームは、楽しむというよりも、本気で全国を目指しているチームでした。なので、火曜以外は毎日練習をしていました。
また、水泳もやっていて、バスケの練習がお休みの木曜日は水泳に行っていたので、スポーツをしない日はなかったですね。

 小学生時代の瀨﨑選手


_え!?毎日練習!?私が小学生のときなんて、毎日ポケモンしたり、りかちゃん人形で遊んだりしていましたよ。このときからすでに差が生まれていたのですね。。。。
強いチームだったということは、試合に出るためのメンバー争いとかもありますよね、瀨﨑選手ははじめからバスケットが上手だったのですか?

せ:はい、そう思います。笑
あ、でも小学2年生からはじめて、2,3年生の頃は試合には出させてもらえなかったので2年間ひたすら基礎練習をしていました。そのおかげか、4年生で初めて試合に出たときもスムーズに動けました。

 

【試合に勝っても満足したことのなかった中学生時代】

 


_やはり、どんなことも基礎が大切なんですね。
中学生時代はどんなチームで育ったのでしょうか?

せ:九州大会で何度も1位になるようなチームでした。
目標は全国に出場、ではなく日本一を掲げていました。


_瀨﨑選手はこの中学生時代から自主的に練習ノートを書いていたとのことですが、何かきっかけがあったのですか?

せ:書き始めたのは2年生からで、純粋にもっとうまくなりたいと思ったときに、反省を明確化できたらいいかなと思ったんですよね。
チームの目標である日本一ももちろんそうですが、自分の中にも理想の選手像が小さい頃からずっとあって、それに対して自分はまだまだ足りてないなと思っていました。
だから私、試合に勝っても満足したことがないんです。
喜べないというか、結果が良かっただけでよいプレーはできていない。
だからもっと上手くなるために・・・と思ってノートを書き始めました。


_か、かっこいい。。。。理想の選手像って、実在の選手とかですか?それともイメージ?

せ:イメージですね。
ちょっと人と違うようなことがしたい。観客がわっというような魅せるプレーをしたい。その中にうまさであったり速さであったり強さが入っているようなプレーができる選手になりたいと強く思っていました。

 魅せるプレー ノールックパス


_そこまで理想とやるべきことが明確化していたことが今につながっているのですかね。
大事なことは「目標とそれに近づくための行動」ということは、仕事でもスポーツでもどんなことでも一緒ですね。ただ、中学生でそのことに自分で気がついているって凄い。


 

【すべてが拘束されていた高校生時代】


_瀨﨑選手高校は全寮制だったと伺いました。全寮制の高校生活というものが、まったく想像がつかないのですが、どのような感じだったのですか?

せ:とにかく食事制限が厳しかったです。
毎日3食決まった時間に決まったものしか食べちゃダメだったんですよ。


_えええええええ
華のJKですよ!!!放課後帰りにクレープ食べたりスタバ行ったりしたらダメなんですか!!!!????

せ:朝は寮で食べて、そこから授業、朝練しているからめちゃくちゃお腹すいているんですよ。
でも早弁とかおかしのつまみ食いとかも一切禁止だったので、お昼の時間まで我慢して、チャイムがなった瞬間に学食にダッシュしていました。笑
別に早くいかなくたってご飯は食べられるんですけどね、早く食べた過ぎてつい。笑
そこで、お昼はバスケ部専用定食を食べて・・・


_バスケ部専用定食!?お昼にグラウンドの外にこっそり抜け出して、近所のおばちゃんがやっている露店で得体のしれないどんぶりを買う高校生活をしていた私とは差がありすぎる。。。

せ:夜は20時で練習が終わるのですが、20時半が門限の為、ダッシュで着替え、21時が食堂の閉まる時間なので、ご飯をあわてて掻き込み、お風呂と洗濯機が22時までなので、そこから3台の洗濯機争いを乗り越えお風呂に入る。
22時半には消灯で電気がすべて消されてしまい、22時半には毎日寝ていました。


_え!?1日のスケジュール以上で終わり!?放課後デートは!?前略プロフは!?mixiは!?

せ:ないですね。笑
持ち込みが禁止だったので、携帯は高校入学と同時に解約しました。
テレビも見ることができないので、何が流行っているのかとかも分からないし、買い物も3年間したことがなかったです。


_もう本当に異世界です。。。。
友達とか家族とかとどうやって連絡をとっていたのですか?

せ:文通や公衆電話ですね。


_え!?ちょっと待って下さい。
瀨﨑選手もう一度確認ですが、私と同年代ですよね?昭和の時代じゃないですよね??

せ:テレフォンカードを大量に持っていました!笑
寮に何台か公衆電話があるのですが、すごく並ぶんですよ。笑
しかもその列が電話と近くて、話している内容が全部丸聞こえなんです。


 

【生まれ変わっても同じ道を選ぶ】



_前略プロフィールやmixiを使って自由につながりたい人とつながることが出来た時代と同じとは到底思えない。。。本当に昭和のお話を聞いているみたい。
そんなガチガチに固められた生活をしていたら、卒業したときの解放感すごくないですか?

せ:めっっちゃ解放感ありました。笑
自由に好きなものを食べて、好きな時間にお風呂に入って、好きな時間に寝る生活が最高に幸せでした。
でも、今考えると時間的には大学生の方がハードでしたね。
朝7時から朝練をしてそこから授業、夜は17時から21時まで練習をしてそこから片付け、MTGをして家に帰るのはいつも0時すぎでした。
そこからごはんを作ってお風呂に入って・・・で、寝るのは2時とかが多かったです。
その時間に寝て、7時からは朝練なので、寝る時間が短かったですね。。


_うおおおお。寮生活を終えてもハードさは変わらずだったのですね。いわゆる普通の大学生いいなーとか思いませんでした?

せ:あ~サークルとか興味はありました。あと学校帰りに遊びに行くということを学生時代通して出来なかったので、その放課後どこかに行くっていうのに憧れはありましたね。


_バスケやっていなかったらどんなサークルにはいっていましたか?

せ:ええ~どんなのがあるんですかサークル?笑
違いすぎて想像ができないです。。
ちょっと話がずれるかもしれないんですけど、私自分の子供に同じようにバスケをやらせたいかって言われたらやらせたくないんです。つらいから。笑
でも、自分が生まれ変わったとして、バスケをやらずに普通の大学生を選ぶかと言われたら、それは選ばないで迷わずバスケを選ぶと思います。
 大学生時代の瀨﨑選手


_なんだか、鳥肌がたちました。笑
瀨﨑選手は小学生のときの卒業文集には「将来の夢はバスケットボールの選手」と書いていたかと思うのですが、大学生のときも同じ気持ちでしたか?

せ:いいえ(即答)笑。
小学生のときにそうやって書いたけど、
中学も強くて日本一を目標にしている分、練習がきつくて苛酷で、休みもない、
高校も、大学も、本当に苛酷で、やめたいとは思わなかったけど、追い求めることにつかれてしまって・・
バスケは好きだから続けたいけど、プロになったらもっときつい。
バスケだけの生活はもう無理だと思い、4年間でやりきりたい。そう思っていました。


 

【好きなことを仕事にするということ】


_ではどうしてプロの道へ?

せ:大学4年間で納得できる結果を出せなかったからです。
このままバスケ人生を終わって、自分がずっと目標にしてきた、なりたい、こうなりたいということを達成できずにこのまま終わるのもなあと思って。
そのタイミングでオファーをもらい、チャレンジしてみたいと思って。


_プロになることに不安はなかったのですか?

せ:色々ありましたよ。一番は怪我ですかね、怪我をすることが多かったので。


_収入面での不安とかはありませんでしたか?
自分がプロの選手を諦めた理由でもあるのですが、私がやっていたスポーツはそれ一本でご飯を食べていくのは難しくて、アルバイトをしながら練習に行って・・という生活をしなくてはいけなくて、しかもその2本でも生活は苦しい例がほとんどでした。

せ:んーピンキリだとは思いますけど、バスケットは比較的安定していると思います。
Wリーグの上の企業チームはそれ1本でやっているところが多いですし、実際に私自身も、今の生活に不安はないです。


_そうしたらバスケットをやっている人たちがプロを目指さない理由が見当たらない!!みんなプロ目指せばいいのに!!!!笑
初め瀨﨑選手は、プロになったらきつくなるからプロにはなりたくなかったとおっしゃっていましたが、実際プロになってみてどうですか?

せ:苛酷ですよ。笑
毎日苛酷だなとは思っているんですけど、
大学生のときにプロになるかここで終わるかを迷った時、そのときはそんなに考えられなかったのですが、今プロになって、やっぱバスケット好きだし、本当に限られたひとしかプロとしてやれてないわけで、そこで今自分が好きなことでお金をもらえているっていうことはつらい以上に嬉しいなと日々思っています。


_好きなことを仕事にすると嫌いになってしまいそう、、という不安を持っている方もいるかと思うのですが、そこらへんはどうですか?気持ちに変化はありましたか?

せ:今まで高校も大学も苛酷な練習をしてきたけど、そこにはお金がかかってないわけで、でも今って毎日毎日私たちが練習をすることに実際お金がかかっている。
だからやっぱ全力でやるのは当たり前だし、仕事としてやっているって思いはあるけど、自分が好きでやれているからそれはうれしいなって。仕事になってもやっぱりずっとバスケットが好きです。その想いは変わらないです。
 
↑試合中の瀨﨑選手


_ありがとうございました!


 

【好きなことを選択し続ける勇気】


今回、瀨﨑選手にお話を伺い、同年代の同じ女子なのに歩んでいる人生に違いがありすぎて、大きな衝撃を受けた。
私はなんとゆるゆる生きてきたのだろう・・・・。
正直、取材をしたら「普通の生活をしてみたかった」という話が出てくるだろうと思っていた。
皆と同じことをやる方がきっと落ち着くから。同じことにも興味を持つと思っていたから。
だから、バスケットをやるために多くのことを我慢して、犠牲にしてきたのではないかと踏んでいた。
しかし、実際にはそんなことは全くなく、我慢したり、何かを犠牲にしてきたりしたわけでもなく、ただ純粋に、自分が大好きなことをただただやり続けた、選択し続けた結果なのだと感じた。
好きなことを選択し続ける勇気をもつことが、夢を実現させるためには一番大切なことなのかもしれない。

小学生の頃の夢を叶え、笑いながら苛酷だと話す瀨﨑選手は、とても生き生きしていて、身体の内側から輝いて見えた。
そんな彼女を純粋に応援したいと、心から思った。
彼女が、彼女のいる東京羽田ヴィッキーズが、多くの人々から愛されている理由が分かった気がする。




 対談中の瀨﨑選手