マニー・ラミレスが高知に来た!その歴史的意味を考える

広尾晃

いつもと違う開幕戦

 
2017年4月17日、四国アイランドリーグplusは、2017年度の開幕日を迎えた。NPBとは1日遅れ。
高知ファイティングドッグスは、福岡ソフトバンクホークス3軍との対戦。四国アイランドリーグplusは、ソフトバンク、巨人と定期交流戦を行っている。そしてこの試合記録は、四国側では公式記録に組み入れられる。
 
高知ファイティングドッグスの本拠地、高知市野球場は例年以上の盛り上がりを見せていた。
今季は、MLBで555本塁打の大打者、マニー・ラミレスが高知ファイティングドッグスに入団したからだ。
マニー・ラミレスはドミニカ共和国生れ。クリーブランド・インディアンスを皮切りに、ロサンゼルス・ドジャース、ボストン・レッドソックスなどで活躍。
勝負強い打撃で、首位打者、本塁打王、打点王各1回、打者のベストナインであるシルバースラッガー賞は外野手で最多の8回、オールスターゲーム選出12回、通算555本塁打は歴代15位。
 
こんな大選手はNPBにも来たことがない。超の付くスーパースターだ。
 
マニー・ラミレスは2011年にMLBをFAとなったが、2013年には台湾の義大ライノスに入団、40歳とは思えない打撃で球場を沸かせた。
義大は経営難に陥っていたが「曼尼(マニー)人気」で観客が押し寄せ、危機を脱したという。
マニーは6月には台湾を離れたが、以後もマイナーでプレーをするなど「引退宣言」はしなかった。

 
台湾 義大ライノスのマニー・ラミレス 2013年
 

「まさか?」「本当に来た!」

 昨年オフになってマニー・ラミレスから高知ファイティングドッグスの関係者に「入団したい」という打診があった。「まさか」と思いながらも球団側は、現地に飛び、1か月近く交渉を続けて契約にこぎつけたという。

マニーの最高年俸は2385万ドル、日本円で約25億円、生涯年俸は2億ドル、200億円を超す。最初から「年俸」は交渉の材料ではなかった。
マニーが何をしたいのか、どんな環境を望んでいるのかを知ること、日本の独立リーグとはどんなものかを理解してもらうことが主眼だった。
 
2月に入団が決定。これは日米の野球ファンを驚かせる。
それでも多くのファンは「マニーが本当に日本にやってくるのか」半信半疑だったが、3月7日、本当にマニー・ラミレスはやってきた。
夫人を連れて高知に姿を現したマニー・ラミレスは「日本野球のスタイルが気に入っている」とにこやかに語った。登録名は「マニー」となった。
 
練習、オープン戦にも参加し、徐々にチームとうちとけていったマニーは、4月1日の開幕戦を迎えた。

 
 開幕戦を待つ高知市野球場
 

大打者の片りんを見せる

1935人、高知ファイティングドッグスとしては大入りの観客が見守る中、マニー・ラミレスは他の選手とともに整列し、歓声にこたえた。



 

高知ファイティングドッグスの江本孟紀総監督が、駒田徳広監督を載せたハーレー・ダビッドソンで登場。「今年もやりますよ!」と力強く宣言。

 
 
 

何と、マニーの打順は1番DH、駒田徳広監督は「一番おいしいものは、先に食べたいじゃない」とこのオーダーの理由を語った。
 
南国高知にしては肌寒い気候だったが、観客はMLBのスーパースターがどんな打撃を見せるのか、固唾をのんで見守る。
ソフトバンクの先発は育成枠ながら、切れのある速球で注目を集める左腕伊藤祐介。

 
 

マニーはこの26歳の投手のボールをじっくりと見極め、フルカウントに。
ここで、変化球に体を泳がせて三振。



 

二打席目、ここでもじっくりボールを見極めたマニーは、変化球をバットをなぎ払うようにさばいてゴロで抜ける左前打。技の一打。
一塁ベースでマニーは、「ゲッツ」のようなポーズを見せる。NPBで”ラミちゃん”ことアレックス・ラミレスがやったポーズだ。試合後、「あれはどんな意味?」と報道陣に聞かれたが、マニーは答えなかった。

 
 

 
三打席目は三振、四打席目は四球。ここで代走を送られ、マニー・ラミレスはベンチに下がった。
 
全盛期のような鋭い振りはほとんど見られず。やはり44歳と言う年齢を感じさせたが、投球をじっくりと見て、粘り強く好球を待つ姿勢はMLBと変わらなかった。
 
試合は高知ファイティングドッグスの勝ち。
マニーはベンチに引き上げてくる選手たちを出迎え、観客に笑顔で答えた。
 

 

 
試合後、グランドで囲み取材が行われる。
「神様と高知のファンに感謝したい」と語ったマニーは、
「2013年以来実戦から遠ざかっているにしては、良いプレーができた。いい安打だった」
と試合を振り返った。

 
 
 

NPBを目指す?野球がやりたい?

マニー・ラミレスが日本に来た目的は何なのか?
いろいろな見方が出ているが、彼の言う通り「日本で野球がしたい」のが一番だろう。
日本の独立リーグは、外国人選手のNPBへの登竜門として、すでにルートが確立されている。
ここでよい成績を上げて、NPBにチャレンジしたいと思っているのだろう。
44歳、MLBを離れて6年になるマニーの挑戦は、はた目から見れば無謀なことではあるが、彼は一縷の希望を抱いているのだろう。
2011年にタンパベイ・レイズをフリーエージェントになってからも、彼は引退宣言をしていない。マニー・ラミレスはすでに成功者だ。生活の不安はない。金銭的な目的ではなく、純粋に「もっと野球がしたい」と言う気持ちでここまできたのだろう。
当日は、NPB関係者も多く顔を見せてはいた。しかしマニーは2度も禁止薬物の使用で出場停止処分を受けている。
彼にオファーをするのは現実的ではないという判断が大勢を占めたものと思われる。
 
高知ファイティングドッグスにとっては、マニー・ラミレスの登場は、いろいろな意味でインパクトがあった。
1935人と言う観客動員もそうだ。マニーの背番号「99」のレプリカユニフォームや、「マニー・バーガー」などの関連商品も売れた。
さらに、高知新聞は翌日のスポーツ欄で、NPBの記事と同じ大きさでマニーの試合を伝えた。NHKなど地上波全局が、マニーのプレーを全国に放送した。
知名度アップ、広告効果は非常に大きかったと言えよう。


レプリカユニフォームを着たファン
 

早くも「お休み」、しかしすでに大きな収穫が

翌日は日曜日。この日もマニー効果で、多くの注目が集まることが期待されたが、マニー・ラミレスの姿は球場になかった。
「体調不良のため休場する」という連絡が球団関係者にあったという。
高知ファイティングドッグスは、セレブであるマニー・ラミレスの「気まぐれ」に付き合わなければならない。それはあらかじめ覚悟していたことではあったが、早くも2試合目でそれが表れるとは。
 
球団関係者は今後もマニーの動向に振り回されることになるだろう。果たしてマニーは、四国や九州で行われるロードゲームに帯同するのか。そもそもいつまでチームにいるのだろうか。
 
しかし、それは高知ファイティングドッグス、四国アイランドリーグplusにとってマイナスではない。
マニーと言う「トリックスター」が、高知にいることで全国的な注目を集めることができる。
「今日は、マニー出るがやろうか」高知の人たちの話題にもなる。
そして「マニー・ラミレスが高知に来た」というニュースは、アメリカでも大きく報道されている。国際的な展開を考えている四国アイランドリーグplusにとっては、それも大きなメリットだ。
さらに言えば、衰えたリとはいえ、マニー・ラミレスは、薬物問題さえなければ野球殿堂入り当確と言われる大打者なのだ。
そのプレーに接することは、若い選手たちにとって何物にも代えがたい「学び」になる。バッティング練習でのマニーは、1打席1打席ボールをよく見極め、バットの芯でボールをとらえてはじき返す。1球もおろそかにしないその練習姿勢は、2013年にプレーした台湾の選手にも深い感銘を与えた。
 
「いつまでいるかわからない」が、「マニー・ラミレスが高知に来た」という事実は、日本の野球史に刻まれる。その意味するところは小さくないのだ。