『日本バスケ界にとってリーグ統合は絶対的な命題だった』 リーグの統合に懸けた想いとは?/サイバーダイン茨城ロボッツ社長 山谷拓志の歩んだ道筋 第4回

野口学

「茨城の誇りになりたい――」

2016年9月に開幕した新プロバスケットボールリーグ「Bリーグ」のサイバーダイン茨城ロボッツ代表取締役社長を務める、山谷拓志氏はそう口にする。



(c) Ibaraki Robots Sports Entertainment
 
昨シーズンはNBL(旧リーグ)で順位でも観客動員数でも最下位。2014年には前運営会社の経営悪化によりチーム存続が危ぶまれる事態に陥ったこともある。だが、サイバーダイン茨城ロボッツが目指しているのは、2020-21シーズンまでにBリーグのチャンピオンになることだ。現状を見れば、決して容易ではない、それどころか不可能な目標のようにも思える。だが、最初から諦めるようなことはしたくないと山谷氏は言う。その高みに向かって妥協することなく挑戦する姿、そして強い姿を県民の人々に見てもらいたい、と。
 
茨城の出身ではない山谷氏が、なぜそこまでの情熱をサイバーダイン茨城ロボッツに注いでいるのか。「人生、山あり谷あり。名前の通りですね」と笑う山谷氏の半生を振り返りつつ、山谷氏がサイバーダイン茨城ロボッツに懸ける思いをひも解いていきたい。
 
(これまでの話)
第1回「『茨城の誇りになりたい!』 “のびしろ日本一”の地で見据える大きな夢」
第2回「『バスケ界がうらやましく見えた』 訪れた転機に挑戦を決意したわけ」
第3回「創設3年目にして奇跡の日本一! その成功の要因とはいったい何だったのか」
 
 

■2つのリーグが併存していた当時の日本バスケ界

 
リンク栃木ブレックスの代表取締役に就任した山谷氏は、ここで“奇跡”の物語を紡いだ。NBAでも活躍したスタープレーヤー田臥勇太選手の獲得、地域密着型のプロチームによる史上初の日本一、そして3年連続黒字に観客動員数首位。誰もが不可能だと見ていた快挙を、創設したばかりのチームで成し遂げていった。
 
だが、山谷氏はわずか5シーズンでこのチームから離れることを決意する。
 
かつてアメフト界に携わっていた時にも、同じ思いを抱いたことがあった。あくまでもチームはリーグに参加している立場であるため、プラットフォームであるリーグの認知度やイメージが向上してリーグの価値が高まらないと、いくらチームの人気を高めて観客を集めようと考えても、ある程度のところで限界が来てしまうことを感じていた。
 
「Jリーグの盛り上がりを見ていると、やはりリーグというプラットフォームの重要性を感じました。当時からバスケ界の各チームはみんな本当に努力していたと思います。ただそれでも、野球やサッカーに比べると認知度やメディア露出は極端に少なかったのです。
 
当時バスケ界はリーグが2つに分裂しているなど、イメージが良好な状況にあるとはいえませんでした。そんな時に、『リーグを統合するための力を貸してほしい』と日本バスケットボール協会から声が掛かりました。バスケ界にもJリーグのようなしっかりとしたリーグをつくることで、各チームの努力がもっと報われてほしいという思いもありましたし、何よりもバスケという競技の商品としての可能性を信じていました。世界中で人気があり、アメリカでは野球をはるかに超えて成功しているわけです。日本でももっと伸びる、もっと売れる、もっと人気が出ると考え、その話を受けることにしたのです」
 
当時の日本バスケ界には、日本リーグの伝統を引き継ぐトップリーグであるJBL(後のNBL)と、新興独立プロリーグのbjリーグという2つのリーグが併存していた。幾度となく協会内で立ち上がっていたプロリーグ構想は、実業団チームが多くを占めるJBLにおいて遅々として進まない状況に業を煮やしたいくつかのチームが中心となり、JBLから脱退する形で2005年に独立プロリーグであるbjリーグを立ち上げたという経緯があった。
 
片やトップリーグ(=JBL)、片やプロリーグ(=bjリーグ)、という2つのリーグの併存は、ファンやメディアからも分かりづらいという声が上がっていた。さらには1国1リーグを規定とするFIBA(国際バスケットボール連盟)からの改善勧告もあり、その状況が改善されなければ制裁を科される可能性もあった。
 
そこで2010年から日本バスケットボール協会の主導により、両リーグを統合する形で2013年秋の開幕を目指した新リーグ(後にNBLと名付けられる)の発足に向けた協議が始まった。だが、この協議は不調に終わる。詳細は省くが、新リーグの形態がbjリーグ側の求めるプロリーグではなく、あくまでも実業団チームとプロチームによる混合リーグであったため、bjリーグの各チームが事業性を確保できないと難色を示したためだ。
 
結局、NBLへの参加を表明したbjリーグのチームは千葉ジェッツのみ。目指していたリーグの統合は果たせなかった。だが、一時的に実現できなかったとはいえ、FIBAからの勧告もあり、リーグの統合は絶対に成し遂げなければならない命題だった。
 
こうした経緯の中で、山谷氏に声が掛かったのだ。山谷氏は、日本バスケットボール協会の「遅くとも2016年にはプロリーグを設立する」という言葉を信じて、リンク栃木ブレックスの社長を辞してこの仕事を受けることを決意した。
 
 

■NBLが果たした「ブリッジリーグ」としての役割

 
山谷氏はNBLのCOO(最高執行責任者)に就任。当時から、理想とするトップリーグのあるべき姿として、3つの条件を挙げていた。

①選手・チーム・審判のレベル日本で最も高く、質の高い、面白い試合が行われること
②数多くのファンが集まり、数多くのメディアが注目し、数多くの支援を得られていること
③その結果として、収益を確保し、その収益がリーグに関わる人や組織に還元され、さらなる発展を目指していること

 
残念ながら、当時のJBL、bjリーグ、そして新リーグであるNBLも、この条件を満たしていたとはいえなかった。
 
「私は当時から、はっきりとした“プロ化”論者でした。シンプルで分かりやすい“トッププロリーグ”のあるべき姿を実現させることが、日本バスケ界の未来のためには絶対に必要なことだと考えていたのです。残念ながら、NBLでは目指していたリーグの統合はならず、またトップリーグのあるべき姿からも程遠かった。しかしながら、協会内では2016年にはトッププロリーグを設立することを目指していたので、であるならばNBLは2016年までの橋渡しをするための変革期間として位置付けようと考えたのです。
 
2016年には必ず統合したトッププロリーグをスタートさせること。これはもう日本バスケ界にとって絶対的な命題でした。そのためのブリッジリーグ(橋渡しリーグ)として、あるべき姿に近づいていくための変革期間である3シーズンの間に、実業団チームにはバスケをビジネスとして捉えることに目覚めさせ、プロチームにはもっと球団価値を高めてもらうことを目指しました。バスケという競技の市場を今より少しでも拡大することができるか。それがNBLの使命でした」
 
NBLではリーグ参加への必須条件として、「チーム名へ地域名称を付与すること」と「自主興行での試合運営」を義務付けた。前者はJリーグのような地域への密着、後者はチケット販売や集客といった興行主としての事業への取り組みを促すことになり、実業団チームであっても、企業における福利厚生としての活動だけではない運営が必要になった。いずれも将来へのプロ化へと向けた段階的な進歩となった。ご存じのように、日本バスケ界は2016-17シーズンから統合されたプロリーグとして「Bリーグ」がスタートしたわけだが、NBLがブリッジリーグとして取り組んだこともその礎になっているといえるだろう。
 
話を戻す。時には批判や反発を招きながらも、山谷氏は心血を注いだ。ブリッジリーグとしてNBLの商品価値を高め、2016年の統合プロリーグの創設というミッションのために、やるべきことは山のようにあった。決して平たんではなかったが、目指すべきゴールに向けて、その道をまい進することを誓っていた。
 
だが、思いがけない事態が起こる。
 
2014年10月、NBLの2シーズン目が開幕した直後のことだった。NBL所属のつくばロボッツ(当時のチーム名)が、資金繰りの悪化により選手の給与未払いが発生し、チームの存続が危ぶまれる事態に陥ったのだった。
 
(第5回へと続く)