元J2日本人得点王!一般社団法人TRE代表の長谷川太郎さんを直撃

Spportunityコラム編集部

元J2日本人得点王長谷川太郎

2019年8月、現在日本は夏真っただ中。つい先日までの梅雨が嘘のような日々が続く。灼熱の鉄格子と化した満員電車の中には、昼間にも関わらず無邪気な少年少女を大勢見かける。どうやら夏休みのようだ。
1人の少年と親御さんの話に耳を傾けた所、どうやら浦和にサッカーを観に行くらしい。
目を輝かせワクワクする少年。「少年よ、お父さんにサッカー観戦に連れていってもらうのか!楽しみだなー! 折角の夏休みだ、楽しい思い出いっぱい作れよ!(ついでにその元気少しわけてくれよ!)」。
少年の輝く目を見ながら、自身もサッカー観戦が大好きだった少年時代を思い返していた。
一番思い出に残っているのは、FIFAクラブ世界選手権2005。ジェラード要するリバプールが決勝戦でサンパウロFCに負けたシーンが強烈に頭に残っている。ちなみに、その年は三浦知良もシドニーFCの一員として出場していた。
FIFAクラブ世界選手権が初開催となった2005年、Jリーグではヴァンフォーレ甲府で「J2日本人得点王」が誕生していた。
今回の連載では、元J2日本人得点王である長谷川太郎さんの現役生活の話や現在の一般社団法人TREのお話を紹介する。
 
長谷川太郎
柏レイソルユースから1998年にトップチームに昇格。2005年に17得点を挙げ、甲府のj1昇格の立役者となった。その後、数々のチームを渡り歩き2014年に引退。
すぐにセカンドキャリアを歩むつもりが、中々1歩目を踏み出せず「夢を見つけることの難しさ」を実感。そんな中、翌年の引退試合をきっかけに「サッカー選手をやりきった」という気持ちを実感。現在は、一般社団法人TREを設立してアスリートのセカンドキャリア支援や少年向けにサッカースクールを運営。
(出典:http://tre2030.com/%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%81%E7%B4%B9%E4%BB%8B/

 

長谷川太郎さんのキャリア

――本日はよろしくお願い致します。今日は、元プロサッカー選手のその後の活動を追う取材です。長谷川さんが今やられている『TRE2030』の話を聞かせてください。ですが、その前に、まずは長谷川さんのプロ生活の話を聞かせてください――
 
長谷川さん:はい!よろしくお願い致します。どこからお話しましょうか
 
――そうですね、まずは最初に入団したチームと、その後キャリアで在籍したチームを教えてください。――
 
最初は柏レイソルでした。レイソルユースからレイソルに入団した形です。その後はアルビレックス新潟、ヴァンフォーレ甲府、徳島ヴォルティス、横浜FC、ギラヴァンツ北九州、社会人の浦安JSCを挟んで2014年にインドのチームで引退しました。トータルで17年の現役生活でしたね。
(写真右は、現役時代の長谷川太郎さん)
 
――どこが一番長かったのでしょうか?――
 
一番長かったのは甲府で4年半在籍しました。次にレイソルで4年在籍しました。
 
――長谷川さんのキャリアで凄く目を引くのが「J2日本人得点王」という実績ですよね。これは、どこで達成したんですか?――
 
甲府のときですね。2005年に17点取りました。Jリーグでは生涯で26点取ったんですが、その内半分以上をその年に取ったことになります。

 

玉田圭司の存在と良き指導者との出会い

――爆発的に得点力が伸びたきっかけは何かあったんですか?――
 
3個ぐらいあります。まず1個目は、2004年が半年契約だったんですね。6月末にもう解雇の通達をされるかもしれない時に、怪我人が増えたことでメンバー外からベンチに入り途中出場で逆転ゴールを決めたことです。そのゴールがジャンピングボレーで決めたゴールがきっかけでで、日本人得点王を獲得した2005年の契約を獲得しました。
 
2個目は、自身の長所短所を書き出して実行したことですね。前に所属していたレイソルでその後日本代表になる玉田圭司居たんです。彼は1学年下で身長も同じぐらい、プレースタイルも1.5列目のドリブラーという点でも共通点があったんです。ただ、本当に上手な選手でした。ちなみに、当時の監督はあのW杯日本代表監督の西野さんでした。

(写真は2018年W杯日本代表の西野朗監督
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190703-00201001-soccermzw-socc

 
――え!あの元日本代表の玉田圭司と西野監督ですよね?――
 
そうです。その時は、玉田がベンチで自分が試合に出ていたんです。ただ、その2年後ですね、私はJ2の紅白戦にすら出られず、対照的に玉田はアジアカップで大活躍しているわけです。「共通点は多いのに、自分と玉田で何が違うのだろう」と色々分析しました。
「シュートは自分の方が、これは勝てるかもしんない」とか、「ドリブルも負けない」、「プレーの選択の判断は負けている」、「ポストプレーの安定感では足りない」「持久系はこう」みたいな感じで。
その分析から「これが足りない。これは足りてる。じゃあ、ここの練習しよう」みたいな。細かく導き出して実践していきました。これも大きなきっかけでしたね。

(写真は長谷川太郎さんのレイソル時代の同僚玉田圭司https://toyokeizai.net/articles/-/251831

 
――地道にやっていったわけですね?――
 
そうです。3つ目は、監督・コーチからの助言ですね。やはり試合に実際に出すことを決めるのは監督です。監督に就任した大木さんという方が「太郎はこんないい動きしてるのに、なんで出てないんだ?もっと自信持ってやれ!」言ってくださいました。そこで1つ、自分のなかで「これまで認めてもらえなかったのが認めてもらえてる」というポジティブな心境の変化がありましたね。あとコーチに安間さんという、現FC東京のコーチがいるんですけど。「安間塾」と呼ばれてるように、若手を結構育てるのが上手な人だったんです。その人が毎週家に呼んでくれて、コーヒー飲みながら上手い選手の動画を観させてもらったんです。例えば、ラウル・ゴンサレス、インザーギ、佐藤寿人とかのオフザボールの動きですね。

(写真は長谷川太郎さんが参考にしていたインザーギ
https://www.golaco.club/articles/1561

 
――みんな動き出しがよくて、ワンタッチタイプの選手ですね?――
 
そうですね。要は「太郎はドリブルは、それなりに常にいいけれども、ボールを受けれない。受ける動きをもう少し学ぼう」という指導ですよね。
 
 
――受ける動きですか?――
 
はい、そうですね。指導前はDFの前すなわち視界に入っている所にポジショニングしらんですが、これって要はDFにとってはマークが付きやすいじゃないですか。なので、DFの背後、すなわち視界の外で動く技術のことです。
「見えないところでどう動くか? 」そういうのを映像を観ながら、寄り添ってくれた人、安間さんがいて、自信をつけさしてくれた大木さんがいて、チャンスをくれたりっていうのが2005年ですね。これが非常に大きかったです。
 
――元々高かったドリブル能力やシュート能力に、オフザボールの技術が加わって開花していったという感じでしょうか――
 
そうですね。いろんな周りの人の関係だとか、自信をつけさせてくれたとか、いろんなものがうまくかみ合った感じですか?
自分自身のプレーを整理ができてきたんで。周も「あ、太郎はこういうプレーしたいんだな」とか、そういうのを伝えることができた部分もあると思います。
あとそれを、やはり伝えるっていうと、自分1人が伝えるんじゃなく、チームのなかで「太郎はこうやって生かした方がいいぞ」っていうのを、多分監督、コーチも言ってくれた部分があったと思うので。それを理解できる先輩たちが、うまく自分のよさを引き立ててくれたというか、良さを引き出して気持ちよくプレーさしてくれるようになったのが大きいように感じます。
 
――良さを引き出す仲間や指導者との出会いはキーポイントですね――
 
今『TRE2030』の活動で、少年達にサッカーを教えていますが、悪いところを見るよりも、いいところを見るよりも良いところを見て伸ばすことを心掛けています。それが多分、人を伸ばします。

 
負けているチームとか負けていた試合って、どうしても悪いところを見ますけど、良いところを見ていいところの時間を増やしていけばチームって勝ってきます。最初は90分の中で良いところが10分しかなかったとしたら、次はそれを15分に増やすチームが勝つチームだと思います。
自分の得意なプレーをして自分に自信を持てば、悪いところも引っ張られるように、良いようになっていきますからね。良さを見るとか、良いところ引きを出そうとするというのは、その得点王になった際の指導のお陰で身についたことかと思います。
 
続く。次回、「引退の地インドサッカーの実態」もお楽しみに

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